鉄骨鶏舎を造ってみよう(鶏声84号より)

2011年04月02日(土) 鶏声編集委員 増田

鉄骨鶏舎を造ってみよう  第2回 千葉県 西村和彦

 

1.      設計する。

今回はモデルプランを参考にします。

間口 4800ミリ 奥行き 7200ミリ  約10坪の鶏舎です。

軒までの高さ 2200  ラーメンの数 5組

予算 5~6万円 (鋼材の相場により変動します)

 

柱と小屋組の組み合わせをラーメンと言います。このラーメンを5組作り、桁や梁で連結すると鶏舎の骨組みが出来ます。鉄骨です。

次のページの図を参照してください

番号順に寸法を入れました。全てミリ単位です。建物自体が大雑把なものですから、さほど神経質にならずに。プラスマイナスの誤差が10ミリ程度なら気にしなくて結構です。

建ってしまえば、自分も含め誰も見抜けませんから。本当は1000分の3位が誤差の許容範囲だったと記憶しています。

 

2.      原寸図を描く (実際の寸法で図面を描く)

小さなスケールの図面からでは求めきれない寸法があるので、実際の寸法で図面を描きます。大きなものになりますから、省けるところは描きません。例の図のように本当に必要なところだけ描いて斜めになっているところの寸法を求めます。この原寸図があると全体のイメージがつかみやすく、大きな間違いを避けることが出来ます。余談ですが、東京タワーなどは、平面だけで計算できないのでほぼ全てを原寸で描いているはずです!その後で加工済みの鉄骨を部分ごとに工場で仮組みして,間違えが無いか確認してから解体し、現場で改めて組み立てます。それに比べれば四角な鶏舎はとても簡単です。

例を図示しました。建設予定の平らな地面などに角材を並べ、コンパネなど人が乗っても容易に痛まない合板で台を作ります。最後に小屋組の組み立て時には治具として使います。そうすることで同一の小屋組が出来ます。

鶏舎を建てる場所があるはずです。その場所を平らにして角材を拡げ、コンパネを小屋組の寸法に合わせ幅1800ミリのコンパネ3枚で5400ミリ。これで幅は間に合います。小屋の中央付近はコンパネの900ミリでは足りないので、2枚を図のように置いて固定します。

 間口にブレースを入れるので、柱の分と合わせ更に足します。図を描かないところには、無駄になるので板を張りません。

この原寸図を、今回は組み立て作業の時の正確な台、「治具」として使いますので必ず作って下さい。

 

 

3.      原寸図から部材を拾い出す

今回使うのは3ミリ×40ミリ×40ミリ(3×40×40)というサイズのアングル(山形鋼)です。

原寸図から自分が作る小屋のサイズに合わせて必要数を計算します。今回の10坪モデルでは1.8mスパンで5組使います。

原寸図に部品の番号をつけると間違えが起こりにくくなります。

各部品がいくつ必要なのかを数えてリストを作ります。

 

 

 

 

 

4.      取り合い (取り合い表を作る)

使用する山形鋼の規格では一本の長さが通常5.5mです。まれに6m以上のサイズもありますから、入手できる鋼材のサイズを確認します。

一本の鋼材からどの部品がいくつ取れるのか積算して行きます。長い部品から順に取り、無駄がないように計画し、注文を出します。この作業を鉄工場では鋼材の取り合いと言います。紙に鋼材に見立てた棒線を引き、間違えないように一本ずつ計画します。

5.      罫書き  切断作業の前に

材料(鋼材)に取り合い表を参考にして、切断の印を記入します。鶏舎づくりでは精密さを求めないので、罫書きも石筆を使って簡単にします。鋼材を扱っている店に「石筆」というものがあります。昔懐かしい蝋石です。

取り合い表に描いたように①550②1100等と部品番号とサイズを記入すると、後々間違えを起こしにくくなります。

この際、切断箇所には切断砥石の厚みも書きます。①550と②1100の間に4ミリくらい間隔を開けます。切断の時に失われる寸法です。

  6.材料の切断

切断にはライトカッターという道具が最適です。1万円くらいからあります。厚さ3~4ミリの切断砥石を回転させて、鉄を擦り切るのですが、切断砥石(ディスク)のサイズが大きい方が作業が楽で、経済的です。切れ味が随分違いますから消耗品の砥石(ディスク)も高いものを選んで下さい。

写真のライトカッターはドイツ製です。

 

作業の時は、砥石の粉や鉄粉が飛びますから、必ずゴーグルをして下さい。とがった鉄の切れ端が眼球に刺さるとやっかいです。

切断作業の後は、切り口のバリをサンダーで削り取ります。こうしておかないと怪我の元になります。

7.穴開け前に

切断した材料のうち、組み立てるときのボルトを通す穴や、屋根を張るときの木材を取り付ける為のねじ穴を箇所を原寸図から写し取ります。

材料のアングルには2辺ありますから、どちらに穴を開けるのか注意しながら記入します。このとき穴のサイズが分かるようにします。木ねじ用と、ボルト用の2種類ですから、小さな方は○、大きい方は◎というようにします。

8.穴開け

胴縁などの木材は木ねじで充分ですから5ミリの穴を開けますが、屋根の波トタンを取り付ける場合は、飛散を防ぐために6ミリ程度のボルトを使いましょう。そのための穴は7.5ミリ。

鉄骨を組み立てるために使用するボルトは8~10ミリです。手に入れたボルトより1・5~2ミリ大きい穴を開けます。

小さいサイズで穴あけすれば位置の誤差が出にくいので、最初は全て2~3ミリのドリルで穴を開けます。これを「下穴」と言います。位置が決まったら、次はドリルの先を取り替え、全て5ミリの穴を開けます。木材用の穴は、ここで完了です。次に、12ミリの穴ですが、手持ちの道具の能力により一気に12ミリの穴あけが出来る場合と、もう一度8ミリで穴を開け、最後に12ミリに進方法とがあります。手持ちのドリルでは段階を踏んだ方が事故が少ないでしょう。能力が高いドリルスタンドやボール盤がある場合は5ミリ穴からから12ミリの穴開けに進んで問題ありません。

 大きな穴を開けるときには、ドリルの先が貫通の瞬間にバリに掛かり、材料が振り回される危険がありますから注意して下さい。

9.点検材料を原寸図に乗せ、予定通りに出来ているか点検する。小屋組の部分には材料を固定できるように木片を取り付けて治具として使う。10.仮付け問題がなければ溶接機を使って仮止めをする。仮止めは溶接の長さを5ミリから10ミリ程度だけ溶接することです。仮止め後にミスがあればハンマーでたたいてすぐに取り外し、組み直して問題を解決することが出来るような簡単な溶接を言います。問題がなければ本付けをします。

 

 

 

 

 

溶接の仕方は次回の予定でしたが、それまで待てない方がいましたので急遽今回に加えました。

初歩の溶接

溶接機について

鉄工場で大量に溶接をする場合には「半自動」という溶接機を使いますが、その場合でも「仮止め」の溶接をするときには「手棒」または「手溶接」といって、溶接棒をホルダーに挟んで昔ながらの溶接をします。半自動が普及するまでは鉄橋も船もビルも全てこの「手溶接」でした。溶接の本には幾つかの溶接法や溶接機が取り上げられていますが、鶏舎や倉庫などを日曜大工で作ろうという皆さんには「充分な」スペックを持っています。しかも溶接コストはずっと安いはずです。

 溶接機の能力は電流で著しますが、直径3,2ミリの溶接棒が完全に使える「150」規格を選べば後々後悔することはありません。私もこの溶接機でH形鋼の溶接を随分しました。「交流溶接機150型」およそ4万円です。故障はしませんから中古があればその方が安くあがります。他にインバーター式の溶接機もあります。こちらは160A規格で7万円くらい。

電源は100Vでは確実な溶接は望めません。100Vしかない場合は「バッテリー式」やエンジン式を選びます。とにかく3.2ミリ棒が使えることが必須です。 いつも使うものでなければ数人で共同購入も考えましょう。

溶接する

溶接を始めては見たけれど、結局挫折してしまったという方のほとんどが躓いているのがアークの発生が上手くゆかないと言うことでしょう。これは真剣に、真っ向勝負しているからです。どこにも書いてない、誰も説明してくれない極意は「アークが発生してから溶接を始める場所に棒を運ぶ」と言うことにつきます。

材料を合わせ、いざ溶接棒をスタート地点に合わせてもアークが上手に発生してくれません。職人は母材のどこか別の場所から棒を動かし始め、アークが安定してきたら溶接のスタート地点に棒を移動し、溶接を始めます。関係ないところに溶接をするのかと心配要りません。溶けた溶接棒の鉄はほとんど問題にならない位しかつきません。もし仮にそれが目立つほどになったとしても、相手は鉄ですから、ディスクサンダーで簡単に美容整形できます。

どうしてアークが安定してくれないのか?

「アークが発生する」という言葉を「光る」と表現すると、身近に感じるでしょう。「安定して光る」とは「安定してアークが発生している」と同義です。電気が火花を出しているのは怖い気持ちになりますが、自由に火花(アーク)を出せるようになって初めて溶接が出来るのですから、怖がらずに練習してください。

溶接棒は被覆材にくるまれて中心に鉄の棒があります。鉄の棒と溶接する母材との間に適当な間隔があると上手にアークが発生し(光って)鉄が溶け出し、互いに溶着します。母材と棒の隙間がないと直接電流が流れてしまいアークが上手に発生しません。鉄同士が異常に解け合ってくっついてしまいます。これが繰り返されると、もうすっかり気が萎えてやる気を失います。

これを超えさせてくれる先輩や講師が身近にいなければ溶接への挑戦はここで終わります。

 

職人はBからCに向かって溶接をする場合にAから棒を振り回すのは、「そのうちに適当な間隔になって、安定アークが出るわい」と気楽に構えているからです。アークが安定したらBに移動し溶接を始めます。

 

左図にあるように約60°くらいに斜めに構えると被覆材が溶接棒の鉄と母材の鉄の間に適当な隙間を作ってくれます。

この間隔が理想より広い場合もアークは発生しませんが、その場合は矢印のように立てると間隔が短くなりアークが発生しやすくなります。又、軽く棒の先を母材にたたきつけて被覆材を崩してやるとアークを発生します。この辺は何度も繰り返してコツをつかんで下さい。

正式にはまっすぐに棒を構えアークをスタートさせますが、いちいち緊張して正確な間隔を等と考えずに、棒の先で適当にその当たりを擦ったり、たたいたりして、職人の世界ではそれで済んでいます。

アークが上手に発生し、運棒が上手くなると、写真右に示したようにビードがきれいな波を見せます。幅や盛り具合が安定すれば、ほぼ一人前です。

写真の左図はアークが不安定で溶け込みも良くありません。溶接の始まりの30ミリと終わりの30ミリは「不完全」であるというのが常識で、正式な溶接の場合は溶接する部分の前後に当て金とエンドタブという金属片を母材に足して、始まりの30ミリと終わりの30ミリが本来溶接する部分の外に来るようにして溶接作業をします。それくらい始まりと終わりが不安定だということは覚えておいて下さい。今回取り組んでいる鶏舎づくりでは「余分に溶接する」事で強度を保ちます。それが素人の仕事です。

 

 

溶接が出来た?かな 

今回の作業の中には母材を突き合わせて溶接する場面はありませんが、基本ですから覚えて下さい。講習会では厚さ5ミリの鉄板(帯鋼)で練習しました。

この程度でしたら隙間なしで溶接します。まず片面から溶接します。充分に溶けあって、厚みの半分以上の深さに溶接が出来たら、溶接部をハンマーでたたいても溶着した鉄は離れることはありません。もし、簡単にわれて離れてしまうようなら、充分な溶接が出来ていません。

離れない溶接が出来ても、必ず反対側からも溶接します。こうすることで解け合った鉄が母材の厚さにおよび、母材と同じ強度を得ることが溶接の完成です。

今回は重ねたアングルの溶接が中心で、この作業は変形の「隅肉溶接」に当たります。強度が撮りにくいので、溶接の長さでカバーします。右図の矢印部分の合計長さで、溶接する鋼材の断面積に相当する溶接量を確保しました。

ベースを掘り出した。

 

左はベースの配置図

柱の向きが端の一組み分が反対向きになります。

ベースは柱の反対向きです。

 

大急ぎで纏めたので説明が足りない部分があるかと思いますが、組み立ては次回の楽しみとしてくだい。

 

手前のようなベースを穴に埋め、コンクリートで固めてから柱をボルトで繋いでゆくと、柱を立てる作業がたいへん楽である。



東北ブロック交流会の報告(鶏声84号より)

2011年04月01日(金) 鶏声編集委員 増田

平成22年度全国自然養鶏会

東北ブロック交流会の報告

 

福島県いわき市 芳賀克彦

 

今年の東北ブロックの交流会は、秋田県が持ち回り主催地です。

11月6日(土)、7日(日)にかけて、秋田県の男鹿半島のたもと、潟上市新関 湖南交流センターを宿泊地にして開催されました。

 

湖南交流センターへの集合時間は午後3時。私は午前7時に家を出発して、勿来インターから高速常磐道を北上、常磐富岡インターを出て、午前9時、前東北ブロック長の風見正博さんご夫妻に同乗いただき、国道6号線をさらに北上、途中、廃鶏の処理をしていただける場所と鶏肉ソーセージへの加工所を教えてもらいながら、野馬追いで有名な相馬を過ぎ、宮城県に入って、12時頃、山本インターから、再度常磐道に入りました。

ここまでで、ちょっと時間がかかりすぎたかと思いましたが、その後、仙台南高速道路、東北道、秋田自動車道は、非常に空いていて、昭和男鹿半島インターを出て、午後3時ピッタリに会場に到着出来ました。

 

到着するとすぐ、先に着いていた参加者の皆さんと、車で10分ほど離れた天王温泉クララで汗と旅の疲れを一流し、会場にもどりました。

 

会場に戻ると、東北交流会のメインイベント?全員で夕飯の準備です♪

 

 

 

 

 

 

深瀬ブロック長の指揮の元、料理の準備はテキパキと進んでいきます。

全ての食材と料理を載せていると、料理の話になってしまいそうなので割愛しますが、東北各地から持ち寄られた、地元の名産品がずらりと並びます。

交流会の参加者は、青森県から久保田雄三さん、森純一ご夫妻、八戸肇さん。岩手県から大和久彰さんの奥様。秋田県から日沼富也さん、小林勝彦さん、菅原専治ご夫妻。宮城県から今野吾彦・奥様ご夫妻、鎌田光雄さん。山形県から東北ブロック長の深瀬忠宏さん、伊藤利彦さん、黒田実喜雄ご夫妻、管 博さん。福島県から風見正博ご夫妻、高橋克彰ご夫妻、佐藤和夫ご夫妻、そして私、芳賀克彦の総勢24名。仲良くご夫婦で参加なさる方が多いのは、東北交流会の特徴の一つです。

 

料理がそろって、交流会では各自の近況報告が有りました。また、今回会場を設定してくださった、菅原さんの恩師にも特別ゲストとして参加、農業の現状など講和をいただきました。

 

 

 

 

 

 

美味しいお料理と、楽しいおしゃべりの中、風見さんご夫妻によるフラダンスの披露など、交流会はクライマックスへ。

 

 

 

 

 

 

 

いつしか時間は流れ、寝床の準備も整いましたが、各自の話はまだまだ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

翌日は、朝から雨が降っていましたが、まず、菅原さんの鶏舎見学。鶏舎はビーニールハウスを改造したもの、放し飼い場も付いて、羽数に比してずいぶんと大きく広々とした鶏舎で、鶏たちは、ゆったり過ごしていました。

 

 

 

 

 

 

 

写真には撮り忘れたのですが、餌の保管用に、いわきではあまり見かけないというか手に入らない、蓋つきのドラム缶が沢山有ったのにはちょっと驚きました。所が違えば、入手しやすいものも変わってくるものですね。

鶏舎見学の後は、菅原さんが比内地鶏の卵を出品している、ブルーメッセ秋田のアグリプラザ昭和(濃淡品直売所)へ見学に。

ブルーメッセ秋田は、広大な敷地内に、秋田県の花木種苗センターや観賞温室、レストラン、高齢者ふれあい館などが併設されている複合施設で、とても綺麗な所でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菅原さんの卵をお土産に購入して、次は秋田の農業の賢人、石川理紀之介の資料を展示している、潟上市郷土文化保存伝習館へ、石川理紀之介は明治時代の農村指導者で、明治政府の要請をうけて、遠くは九州、宮崎県の谷頭村など全国の農村に農業を伝授して回り、生涯を貧農救済に捧げた人物。「老農」あるいは「農聖」と敬称されている方です。理紀之介の事は初めて知りましたが、師の残した名言、「寝ていて人を起こすことなかれ」や、「世にまだ、生まれぬ人の耳にまで/響き届けよ、掛け板の音」と毎朝午前3時に駆け板を鳴らし、農民に起床を促した話、また私の郷里、福島県でも、農村の土地や土壌などの総合調査とも言える「適産調」を行っていた事など、自給生活を目指す私にとって、非常に興味深い出会いとりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は、秋田油田と八郎潟を見学し(八郎潟では あまりの広大さに、写真を撮ることも忘れてしまいました。)、最後は、菅原さん宅で昼食を取り、名残を惜しみながらも解散となりました。

帰路は、東北道から磐越自動車道、常磐道と高速道路をひた走り、常磐富岡インターで、風見ご夫妻とお別れして、自宅に着いたのは午後9時。長旅でちょっと疲れましたね。

交流会に参加させていただくのは今回で2度目、東北の美味しい食材と、こころ温まる皆さんの対応と会話、養鶏場・販売所の見学等、楽しい時間もあっという間に過ぎてしまいましたが、今回も十分に堪能させていただきました。反省とすれば、早く酔いが回って、養鶏の技術や販売などあまりお聞きできなかった事。次回参加時には、質問したい事を整理しておいて、早めに質問してスッキリしてから酔うようにしたいと思います。

来年は、宮城県が会場になると聞いております。とにかく楽しい交流会ですので、他のブロックの方もぜひ奮ってご参加ください。

最後になりましたが、今回の会場を準備して頂いた菅原さんや秋田県の会員の皆さん、そして、参加いただいた会員の皆さん、往復の道中、全く眠気も起こさず走ることが出来るよう面白いお話を聞かせてくださった風見ご夫妻、ありがとうございます。

今後とも、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 



関東交流会報告(鶏声84号より)

2011年04月01日(金) 鶏声編集委員 増田

 

関東交流会報告                                              西村和彦
2010.10.09~10 茨城県常総市 あすなろの里 
 
 溶接には不向きな雨模様だったので、急遽倉庫を会場にして定刻に溶接講習会が始まった。
 厚さ5ミリ、幅5センチの帯鋼を10センチに切った鉄片をアーク溶接で溶接するという練習をして、その後ハンマーでたたいてきちんと溶接が出来ているかどうかを確認し、溶接がうまくいった状態について体験と理解をしてもらった。ゲスト参加の女性(永井さん)も皆さんと同じように上手に溶接が出来るようになり、溶接を体験し、技術を身につけるという目的を果たした。
 今回は関西からも参加があり、その後北海道からも参加の打診があって、溶接の講習には広く要望のあることを感じた。

 

        白鳥の里自然農園 倉庫にて  作業服姿の講習会参加者

 

 

 会場をあすなろの里にある東屋に移しての交流会の頃には雨も本格的となり、大雨洪水警報・雷警報が出る中の海鮮バーベキューとなった。

 今回、メインの魚介類は福島県の勿来港から芳賀克彦さんが届けて下さいました。他に群馬から竹渕進さんと紋谷武志さんの野菜が届き、兵庫の清水さんからは地酒、焼酎、鶏肉が届きました。高田さんからは焼酎が,西村洋子さんからは岡﨑オーハンの肉が供されました。

 あまりの雨音に自己紹介の声も途切れ途切れでしたが、秋の味覚に舌鼓を打ちながら話に花を咲かせている頃に北茨城の鈴木茂さんが到着。今回も写真撮影を引き受けて下さった千葉県の鈴木勝昭さんからは、12月に出版される小説の案内がありました。農民作家の誕生です。9時過ぎからはロッジに場所を移し、落ち着いた中での交流が始まった。淡路島から参加した清水呂益さんの土砂崩れ体験談には何度聞いても改めて驚き、考えさせられてしまう。

 

翌朝、食事の後はブロック総会。鈴木茂さんから参加者名簿に経営状況など多くの情報を載せれば話も弾み、更に充実した交流会になるのではないかと意見が出された。これは次回から実行したい。

埼玉の長谷川さんからは、ついに念願の自然養鶏を始めたとの報告がありました。

 

また、次の交流会は来年2月頃に千葉県長柄町・加藤晟次さんの幹事で開くことになった。

埼玉県春日部市から現地に入植し、栗と卵を近所の道の駅に出荷しているそうですから、そちらも見学も楽しみです。

来年3月の理事会には西村の他にブロックを代表し鈴木勝昭さん、竹渕淵進さんを送り出したいと提案し、了承されました。全国の会員と交流を深めるために他にも2名までの参加希望者には旅費半額をブロックで負担するようにお願いし、了承されました。希望者は事前に西村まで申し込んで下さい。全国自然養鶏会といいながらもなかなか交流が全国に広がらないで居ますが、「鶏声」やメーリングリストで良く名前を目にする方と直接交流して下さい。

今回の参加者は兵庫県から清水呂益さん、福島県から芳賀克彦さん、神奈川県から新井真幸さん、埼玉県から長谷川広司さん、群馬県から竹渕進さん、茨城県から高田初美さん、鈴木茂さん、千葉県から鈴木勝昭さん、笠原秀樹さん、西村、加藤晟次さん、ゲスト参加の永井治子さん、千葉耕三さんでした。

    後列 左から 高田初美、加藤晟次、鈴木勝昭、鈴木茂、新井真幸

    前列左から  西村和彦、芳賀克彦、清水呂益、長谷川広司



関西ブロック夏の交流会in高知&淡路島

2011年04月01日(金) 鶏声編集委員 増田

関西ブロック夏の交流会in高知&淡路島

 

和歌山 妹尾明彦

 

 恒例の夏の交流会が9月3、4日の2日間、お隣の四国ブロック、高知県で開催されました。

 参加者は、井上さん、今井さん、上垣さん、清水さん、西林さん、橋本さん(以上兵庫)、新入会の草野さん(滋賀)、田中さん(大阪)、冨士谷さん、ヒグチファームの密田さん(以上奈良)、妹尾(和歌山)の11名。高知の会員である奥田さん夫妻も夜の懇親会から参加していただきました。

 3日午前10時ごろに和歌山の自宅を出発した私は、1時間ほどで大阪府河南町の田中さんの鶏舎に到着。ここで、田中さん、冨士谷さん、密田さんと合流して、車1台でまずは淡路島を目指して出発。大阪、兵庫を走り抜けて、明石海峡大橋を渡り、淡路島のサービスエリアで明石の橋本さんと合流。昼食を食べて、南国・土佐を目指しました。

 高知市内に到着したころにはもうすっかり夕方になっていました。龍馬記念館を足早に見学して、ホテルへ。しばらく部屋でくつろいでいると、兵庫県勢のみなさんと草野さんが到着。長旅の疲れを癒すために風呂に入った後、宴会場で懇親会となりました。

 

 

 懇親会から奥田さん夫妻も駆けつけていただき、自己紹介、近況報告をしながら鶏飼い談義に花を咲かせました。部屋に会場を移してからも毎度のように尽きない話が続き、寝静まった頃にはとっくに日付が変わっていました。

 

 

翌4日は朝食をとった後、早々に宿をたち、南国市にある奥田さんの鶏舎へ向かいました。

 

写真左)鶏舎のわきに据えられた卵の自動販売機。奥田さんのこだわりを看板でPR。

写真右)鶏舎の入口で靴裏の消毒。ブーツカバー、新しい靴の持参など当たり前になってきた。

 

 

 

 

平らな田んぼが広がる中にある奥田さんの鶏舎。見通しのいい道路に面していて、お客さんが直接買いに来るにしても、エサを搬入するにしても便利そうです。狭い山の中に鶏舎がある私にとってはうらやましい立地です。

 数千羽飼う広い鶏舎ですが、奥田さんが自ら大工仕事や溶接をして作り上げた手作りの後があちこちでうかがえます。飼料配合などを行う作業場は整理整頓されていて、ここでも感心。餌の配合ラインの中に計量器を入れて作業効率にも配慮がされていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 奥田さんのところでは、約70日ごとに年5回、1回に450羽え付けするとのこと。1年間産ませた後、以前はそのままとう汰していましたが、現在は全て1羽ずつケージに上げて、産卵状況を記録しています。産卵の悪いものはとう汰しますが、良い個体は産ませ続け、通常の平飼い卵より安く販売しているそうです。

 

1)  作業の効率化

2)  コストの削減

3)  収益の拡大

 経営としては当たり前のことですが、常にそれらのことに注意を払いながら日々鶏飼いに励んでいらっしゃる奥田さんの姿勢が鶏舎のあちこちからうかがえました。

 

 鶏舎見学の後、総勢11人であつかましくも奥田さん宅におじゃましてお茶をいただきました。奥田家の皆様、本当にお世話になりました。

 

 

  高知を後にした一行は帰路につき、途中で淡路島の清水さんの鶏舎へ向かいました。清水さんの自宅と鶏舎は眺望と日当たりの良い高台にあります。通常の採卵鶏ボリスブラウンに加えて、ウコッケイ、アローカナ、くろどり、卵肉兼用種など、飼育している鶏種は多彩で特色ある養鶏を展開されています。

 ハーブや醤油粕を活用した独自の飼料づくりも熱心に研究されています。この日は、兵庫県の醤油メーカー「ヒガシマル醤油」の方も来て、醤油粕を活用したタンパク飼料を紹介していただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 作業場に吊るされたネズミよけのヘビ          烏骨鶏

 

 

 関西ブロックは夏と冬の年2回交流会を開き、会員同士の交流と情報交換をしています。毎回、和気あいあいとした雰囲気の会ですので、まだ参加したことがない方々も奮ってご参加下さい。

 最後になりましたが、ブロック長の井上さん、会計の清水さん、今回も有意義な交流会の準備、ご苦労様でした。




福島県交流会開催(鶏声84号より)

2011年04月01日(金) 鶏声編集委員 増田

福島県交流会開催

高橋 克彰

10月3日、南相馬市の須江さんお宅をお借りして、県交流会を開催しました。参加者は、須江さんご夫妻をはじめ、佐藤和夫さん、風見正博さん、芳賀克彦さん、渡部真美さんご夫妻とお子さん、渡部さんの研修生、中山さん、三浦いつぎさんご夫妻、高橋克彰夫妻と盛会でした。

 会場は改築した真新しい蔵。入って右側にキッチン、隔ててグランドピアノが置かれ、いつでも音楽会が開かれる雰囲気でした。左側には音の出るトイレがあったそうです。中央にテーブルと蔵の戸を利用したテーブルが置かれていて、テーブル上には手作りの蜂蜜入りカステラが用意されていました。各自席に着くと紅茶が配られました。

 開会の挨拶、須江さんの歓迎の言葉を頂き、会は始まりました。各自の自己紹介、須江さんが作成して下さったアンケート資料に基づいた質疑応答。途中、持参の弁当、作って頂いたみょうがの玉子とじみそ汁を食べながら、和やかな感じの中で話は盛り上がりました。予定の時間を30分以上過ぎて閉会。

 その後、鶏舎見学、米ぬかのEM発酵などをする餌作りの部屋を見てから、鶏舎を順に見学。須江さんの創意工夫の施された、鶏が喜んでいると思われる鶏舎でした。裏庭には蜜蜂の巣箱があり、オオスズメバチの罠も見せて頂きました。

 話は尽きず皆さんと共にもっといたかったのですが、2時近くお別れの言葉を残して散会しました。須江さんご夫妻、いろいろとご面倒をおかけしまして有難うございました。ご参加下さった皆さん有難うございました。



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