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「協力を惜しまないので是非実現させてください」中島正

全国自然養鶏会の設立のきっかけは、1982年夏、雑誌「現代農業」への一通の投稿でした。投稿者は浜松の吉田行由さん(1984.4月没)。

当時吉田さんは「自然卵養鶏法」を教科書にして養鶏に取り組んでいましたが、失敗も多く、おそらく全国で同じように孤軍奮闘しているであろう同志達との交流、勉強の場が出来ないだろうか、賛同する方の連絡を求めます、と言うのが投稿の内容でした。

すると、直ぐさま中島正先生より「協力を惜しまないので是非実現させてください」との便りが届き、また「現代農業」編集部の萩原明さんからも賛同の便りが届き、第一歩を踏み出しました。

会の設立は1983年1月10日。岐阜の中島正先生宅に、先生、吉田さん、萩原さん、私の4名が集まり、事務局を吉田さん宅に置き、中島正先生には顧問というかたちで参加していただき、「現代農業」に会の発足と会員募集を掲載することが決定されました。(当時、中島正先生は「現代農業」に後の著書「みの虫革命」「都市を滅ぼせ」へとつながる連載記事を掲載中でしたが、あまりにも過激すぎると編集部では批判的だったそうですが、個人的にも中島正先生を応援していた萩原さんの存在は大きかったと思います。)

掲載後の反響は大きく、1ヶ月余の間に100名に迫る入会申し込みがあり、いかに自然養鶏を志す人たちが情報や技術を欲し、何よりも仲間に飢えていたかということが実感させられました。

1983年4月、先生の「全国自然養鶏会発会に寄せて」を巻頭に「鶏声」第一号が発行され、会員紹介を通じて交流が一気に広がりました。

会員の要望に応えるかたちで第一回交流会を開催したのは1984年2月、参加者は60名。中島正先生の「自然養鶏のこれからのとりくみ」の講演と意見交換で熱気あふれるすばらしい交流会となりました。

ちなみに「全国自然養鶏会」は吉田さんが付けられました。当初は単に「自然養鶏会」とする予定が、反響の大きさに“各地で同じような会が発足し、中島先生の争奪戦になっても困る”と考え、中島養鶏直系の会は当会であるとの意味を込めて「全国自然養鶏会」とされました。

静岡県浜北市   千葉正則

中島正先生の人柄

自然卵養鶏法」を読んで、すっかり心酔していた私は、あの思想、文章からして何か近寄りがたい、するどい雰囲気の方かと想像していましたが、実際は実におだやかな表情と言葉づかい、そしてこちらの拙い質問にもていねいに答えて下さる誠実さ、等々、人間としての深さ、大きさが感じられ先生と出会えたことの幸せに浸る事が出来ました。

発足当時は「鶏声」の記事を頻繁にお願いしていましたが、農作業、地元の養鶏組合長としての仕事、執筆、見学者の対応、講演等々と多忙の中、お願いした期日通りに送って下さいました。

ところがこちらの怠慢で発行が大幅に遅れたりしても、かえってねぎらいの便りを頂いたりして、実に恐縮したものでした。

その原稿や便りのほとんどは新聞チラシの裏側に記されていたのも中島正先生の生きる姿勢が垣間見られる気がします。

自然卵養鶏法」と出会って25年。当初と全く変わらない形で養鶏を軸に百姓生活を送っています。中島正という百姓の凄さ、正しさをあらためて痛感するとともに、心より感謝申し上げます。

千葉正則

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